子どもに読書を勧めない5つの理由
私は本をかなり読みます。
でもいい事だと思っていないんです。
私にとって、それはもう生活の一部っていうか、止められないっていうか。
中毒ですね。
本というよりは活字ですね。
新聞でも雑誌でも何でもいいんです。
時間があれば、投書欄でも求人欄でもいいんです。
昔、デートの待ち合わせに新聞つまんで出掛けてました。
でも、子どもには読書はあまり勧めていません。
勝手に読んでる分には止めさせはしませんけど。
「勉強はしろ」は言ってます。
読書量と勉強の出来不出来は明らかに相関関係があると思ってはいます。
でも、読書はあまり勧めない、その理由を挙げてみたいと思います。
読書はお金がかかる
ガク!金かい!
いきなりそれかい!
という批判は甘んじて受けますが、人生結構な金額を活字に使う事になります。
心当たりのある方も結構いらっしゃると思います。
本は場所が邪魔
そりゃーずっと所蔵していたい本、たまに又読みたくなる本、はありますよ。
でも嵩張りますね。
で、何より嫌なのが「積読(つんどく)」です。
買っていつかは読もうと思いながら、ずっとある本ってありますよね。
あれが、個人的にストレスなんです。
あれも読まなきゃ、これも読まなきゃって、本の山を見ながら生活するのが≪追われている感覚≫なんです。
買わなきゃいいんですけど。
でも、在庫しとかないと、新幹線の中とか、活字を忘れた時の禁断症状も耐え難いですよね。
読書は時間を取られる | 人生は有限です
上の記載は忘れて下さい。
そろそろ本題に入ります。
子どもには、「読書はあくまでも趣味だ、勉強じゃない」と言い聞かせています。
そりゃ、読書したほうが読解力が上がりますから、成績は上がるのは間違いないでしょう。
国語力は、全教科のベースですから、全体の底上げもされるでしょう。
文部科学省も読書の効能を説いてます。
毎日、小学校の宿題の音読のOKサインを求められます。
でも、読書にはまりすぎると、時間取りますよね。
本の内容が面白すぎて、夜更かししたりもしますよね。
本当は、試験勉強しなきゃいけないのに、お手軽だからさっと本を手に取って、気付いたら1時間経ってた、なんて普通にありますよね。
他の皆は勉強してるのに、自分だけ何か他の世界に入っちゃって、そんな自分を俯瞰で見たりして、望むと望まざるとにかかわらず現実逃避している。
私が、読書にはまったのは、高3からですから、その後は想像つきますよね。
関連本や、同作者の本が読みたくなるのはもう生理現象でしょう。
少4の息子もコロコロコミックの発売日は、10時過ぎてもずっと読んでます。
つまり、本来しなければならない事がおざなりになるという事です。
人生、その時その時でもっと他にもやらなければならないことがあると思うからです。
人生有限です。
読書するだけが目的では効果半減です
読書ってエンターテーメントですよ。
手に取るだけで完結します。
思考は縦横無尽に駆け回るでしょう。
単純に脳だけで楽しめます。
しかし、この楽しみがクセもんです。
読書の別の効能には、アウトプットして生きる読書もあります。
これが中々出来ない。
本に触発されてアクションを起こそうとします。
ところが、違う本、すぐ手に取っちゃいませんか。
世にいうノウハウコレクターです。
そうすると、アクション起こす事が後回しにされます。
これを繰り返します。
頭だけはでっかくなります。
知識偏重が行動を抑制する
読書は世界が広がります。
逆に、知識が増えるという事は、世の中の見切り、自分という一人の人間の見切りもより現実に近づきます。
そうすると、知識が行動を制約する場面も出てくるでしょう。
変に分かっちゃうって事です。
その時に必要なのは、多少の鈍感力とそれを凌駕するバイタリティです。
一にも二にも大切なのはアクションです。
バイタリティと行動力も養成しましょう
以上が子どもに読書をあまり勧めない理由になります。
- お金がかかる
- 場所が邪魔
- 時間を取られる | 人生は有限です
- 読書するだけが目的では効果半減です
- 知識偏重が行動を抑制する
もちろん程度問題ですけどね。
では、バイタリティと行動力はどうやって養ったらいいと考えてるのか。
それは、行動することで変わる成功体験を積むことだと考えています。
行動って言っても、手を動かすでも口を動かすでもいいです。
体を動かしましょう。
足を使って歩きながら考えましょう。
違った景色が見えるでしょう。
新しい知識も必要ですが新しい風景も必要です。
吸収した知識を使って、新しい何かをクリエイトしなければなりません。
そんな話を子供たちにしています。
どこまで真意が伝わってるかは疑問ですが。